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豪雪の秘境として知られる長野県最北端の栄村「秋山郷」。トチノキを材料とする木鉢(こね鉢)の製作は、江戸時代から冬期の重要な生業であった。そば粉・小麦粉・雑穀などを木鉢でこねた麺や「アンボ」と呼ばれる饅頭は、山村の独特な食文化を象徴してきた。 仕上げの段階で槍鉋(ヤリガンナ)、銑(セン)など古い道具が使われる秋山郷の木鉢は、昭和58年に長野県知事指定伝統的工芸品に指定されたが、ボウルなどの代用品の普及や食生活の変化によって近年は製作者が激減。長い伝統が途絶えかねない状況を迎えている。 本書は地理学・地誌学の泰斗で秋山郷研究の第一人者である市川健夫氏と日本木地師学会会員により、秋山郷の風土と木鉢づくりの技術的背景を解説しながら、日用器物を通じて山と人との関わりを再考する。存続が危惧される全国の木地師の動向にも言及する
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多くの名将や藩主のもとで特異な町並みが形成され、独自の気風や産業が生み出された信州の城下町。本書は信州の代表的な7つの城下町について、戦国時代の勢力争いや築城の経緯を簡潔にまとめながら、城下町の形成過程や産業の成り立ち、当時の人々の暮らしぶりまで言及。さらに、各章の後半では、現在の城下町の様子を紹介しながら現地散策のポイントを記しており、戦国〜江戸〜明治〜昭和〜現在に至る「城・人・町」を総まとめした内容となっている。写真・図版・略地図など350点掲載。
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信州寺参 新曼荼羅
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「一光三尊」(いっこうさんぞん) 一つの光背の前に中尊と脇侍の菩薩が立つ「一光三尊像」の特徴を持つ秘仏「善光寺如来」。平安時代の歴史書『扶桑略記』によれば、欽明天皇の13年(552年)仏教公伝とともに遠く天竺より百済を経てこの国に伝わった最古の仏像がこの善光寺三尊仏だとか。この説の通りだとすると、法隆寺「釈迦三尊像」(止利仏師)よりもさらに100年ほど古いことになる。 確かに中尊阿弥陀仏の印相は、左手が人差し指と中指のみを下げて伸ばす「刀印」、右手が掌を衆生に開いて差し向ける「施無畏印」という組み合わせで飛鳥・白鳳時代の特徴。法隆寺仏とも合致して、とても珍しいもの。本作中の梵字は脇侍の観音菩薩と至勢菩薩それぞれを表す。 |
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「定額山」(じょうがくざん) 善光寺の山号「定額山」は表参道より境内に入って最初の門「仁王門」にその額面をいただく。参拝者を最初に迎える仁王は“二王”からの変化。正しくは金剛力士像。ことの始まりと終わりを表す阿吽の形相で睨みを効かせる、いわゆるお寺の入口の定番的仏教彫刻の傑作。作者は明治期を代表する木彫家・高村光雲とその弟子の米原雲海。 門をくぐって2体の裏側にそれぞれもう1体ずつ、北に向かって安置されている同作者の彫像に目を止める人は少ない。本堂に向かって右が「三面荒神」、左が「三面大黒」。北側で自然光が入らないので、よほど目を凝らさないとその全体像は把握できないが、それぞれ三面六臂の威容なお姿、こちらもまた秀作まちがいなし。 |
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「四門四海」(しもんしかい) 仏教で「四」という数字は重要な意味をもって使われることが多く、四天王などもその一つ。仏教世界の四方(東西南北)に守護神として配置される。その世界の中心にそびえるとされる「須弥山」と、遠く天竺(インド)より仏教が伝わったアジアの最東端の島国というイメージを重ねてみる。 縁起によれば善光寺秘仏の体を成すのは、はるか海中の竜宮より釈迦の十大弟子の一人「目連」が貰い受けたとされる「閻浮檀金」という金属。“エンブダゴン”と発音し、同じく海と縁の深いアトランティス伝説に登場する幻の金属“オリハルコン”を連想させて面白い。龍もまた「阿闍梨池伝説」や「飛柱記」などに登場する善光寺に縁ある霊獣として伝説の中にたびたび登場し、善光寺不思議ワールドを牽引するキャラクターとして申し分なし。 |
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古来より7777枚あるといわれる参道の石畳を踏みしめて、たどり着く本堂前で出迎えてくれるのは、大香炉の上で少々恐ろしげな顔で睨みをきかす狛犬。数えで7年に一度とりおこなわれる御開帳の期間中、「回向柱」がこの大香炉の直前に立てられる。回向柱には前立御本尊の右の御手に結ばれた金糸が善の綱として結ばれ、柱に触れる人々に仏の慈悲を伝えてくれる。 この有り難い結縁のシステム、実は7年待たずとも本堂の中に「戒壇巡り」として常時用意されている。御本尊様とつながれた極楽の錠前に触れることで結縁を果たすしくみだが、その回廊は真の闇。出口の光が現世へと誘い、春遅い信州の花が本堂周辺で出迎えてくれることだろう。 |
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「応化利生」(おうげりしょう) 「昔、信濃の国、小県の里に心が貧しい老婆がいました。ある日、軒下に布を干していると、どこからか牛が一頭やってきて、その角に布を引っかけて走り出しました」──有名な説話「牛に引かれて善光寺参り」の一節。その後、老婆は牛が観音菩薩の化身であることに気付き、我欲を捨てて信仰の道に入り、やがて極楽往生を遂げる。 応化利生──仏や菩薩が衆生を救うために姿を変えて出現し、利益を与えること。となれば草木、虫魚、動物に至るまで、我々は絶えず救いの芽に囲まれて生きていると言えそうだ。 |
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「如是転生」(にょぜてんせい) この山国に伝わる縁起は遠く7000キロ以上も離れた天竺(インド)・毘舎離国から始まる。月のような大きな蓋で信心を閉ざした月蓋長者という大富豪の娘「如是姫」に降りかかる悲劇が事の発端。長者は大林精舎でまだ人として生きていた釈迦を頼り、阿弥陀如来の加護を得て姫と国中の人々が救われる。その後、改心した長者が釈迦・阿弥陀の両者の共同作業で造ってもらったのが秘仏・善光寺如来。 その月蓋長者、仏教世界の大技「輪廻転生」により後に百済の聖明王、そしてさらには善光寺の名の由来となった本田善光となって生まれ変わり、善光寺如来がこの山国に移ってくる。娘の如是姫も仏とともに百済と日本で転生を果たす。 |
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栃麺棒、婿泣かせ、嫁殺しなど雑木に関する謎多き民俗の数々──
東御市のシナノキ「弘法大師のさかさ杖」
小野のシダレグリ(辰野町)
ヒイラギ
空木(ウツギ)=卯の花 |
雑木の名と民俗 宮澤文四郎著 四六判270P 1600円(税込) 2008年9月27日発行
雑木林を構成する樹木を、このような広い視野から民俗を見直してみよう、戦後六十年の日本社会に、雑木林をより身近なものとして、その意義を問い直してみよう、このような考えから綴ったのが、本書である。 雑木林に親しむには、まずその樹木の名と命名由来を知ることから始まる。しかし樹木に限らず動植物全般に、片仮名表記による単なる記号のような名が流通して、その実を伴わないことが多い。本書の書名を『雑木の名と民俗』としたのも、冒頭に「雑木と名と」の項を設けたのも、雑木の名の内実を知ることこそ、雑木林を理解する基本と考えたからである。 樹木の名前には、(1)和名、種名(標準和名──国内で通用する名前)、(2)方言(ある地域の地方名、地方の種名──その地域で通用する名前)、(3)学名(世界共通の名前)がある。殊に本書では、地元(信州)の民俗に重きを置くために、(2)を重視した。樹木の方言は、その地域の民俗から生まれたものが多いからである。(中略) 雑木に関する過去の民俗、つまり雑木と里人との実生活の中での深いつながりが何を意味するのか。樹木の精や木霊、伝説や俗信などは、自然への畏敬と豊かな人間らしい生活についての示唆に富んでいる。しかし、戦後の開発や自然破壊によって樹木が大量に伐採されると、それに合わせて雑木の民俗も忘れ去られ始めた。昭和後期の後半期には、自然の保護・保全が叫ばれるようになったが、雑木と人間との関係についてはそのあるべき形がつかみきれていないように思われる。そのヒントを消えゆく民俗の中に見つけてもらうことができるならば、私の最も喜びとするところである。(後略) |
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川中島合戦かるた
川中島の戦いから450年余。この戦争の歴史は今も川中島の深い霧の中にあり、伝説や解説による戦国ロマンとしても語り継がれています。『川中島合戦かるた』は、史実と伝説を踏まえながらも、より自由な視点や発想で制作。信濃の武将の動向や戦いの裏側、民衆の暮らしなどを描く、楽しく刺激的な「板画(版画)かるた」です。板画家の森貘郎による版画も秀逸。中世史研究家の村石正行監修。
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三石暉弥著 四六判 252ページ 1680円(税込) 2002年6月6日発行
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